東京高等裁判所 平成4年(行ケ)104号 判決 1994年1月18日
和歌山県和歌山市黒田75番地の2
原告
財団法人雑賀技術研究所
代表者理事長
中西豊
訴訟代理人弁護士
安原正之
同
佐藤治隆
同
小林郁夫
同弁理士
安原正義
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
麻生渡
指定代理人
園田敏雄
同
中村友之
同
宮崎侑久
同
関口博
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
「特許庁が昭和62年審判第12161号事件について平成4年3月26日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
2 被告
主文と同旨の判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、名称を「穀物用のバケツトコンベアー」とする発明について、昭和57年3月11日、特許出願をしたところ、昭和62年4月8日、拒絶査定を受けたので、同年7月7日、審判を請求した。特許庁は、この請求を昭和62年審判第12161号事件として審理し、平成2年10月25日、出願公告したが、特許異議の申立てがあり、平成4年3月26日、上記請求は成り立たない、とする審決をした。
2 本願発明の要旨
「多数のバケットを取付けた環状のベルトを、上下のプーリーに掛け渡した直立型のバケットコンベアーに於いて、上部プーリーのところを、バケットが円弧移動する時、上部プーリーの外周縁からバケットの開口縁外方端までの長さを、上部プーリーの半径の1.2倍以上とし、上部プーリーのところを円弧状に通過する際の、バケットの開口縁外方端の周速を毎秒1.8m以下とした穀物用のバケットコンベアー。」(別紙図面1参照)
3 審決の理由の要点
(1) 本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
なお、本願発明の目的は、「バケットの旋回時周速を遅くしても排出が可能で、被搬送穀物に許容限度以上の衝撃を与えずに搬送することのできる穀物用のバケットコンベアーの提供」であり、本願発明の奏する効果は、(a)バケットの円弧運動時の周速がかなり遅くても、バケット内の被搬送物をアゴ板の排出口の方に確実に放出することができる、(b)被搬送物がアゴ板に衝突する時の速度が低く、衝突時の衝撃を穀物の耐衝撃限度内に止めることができ、穀物に傷みを与えることなく搬送可能である、(c)搬送に伴う砕穀や食味の低下を防止することができ、アゴ板での衝撃騒音を減少させることができる、点にある。
(2) 引用例(実開昭49-44号公報)には、「多数のバケット(バケット6として示されている。)を取り付けた環状のベルト(ベルト5として示されている。)を、上下のプーリー(ローラー3、4として示されている。)に掛け渡した直立型の穀物用のバケットコンベアー(穀類昇降機として示されている。)。」が記載されている(別紙図面2参照)。
(3) 両発明を対比すると、両者は、「多数のバケットを取り付けた環状のベルトを、上下のプーリーに掛け渡した直立型の穀物用のバケットコンベアー。」である点で一致し、本願発明においては、上部プーリーの外周縁からバケットの開口縁外方端までの長さが、上部プーリーの半径の1.2倍以上であるのに対し、引用発明ではこの点が明らかではない点(相違点<1>)、本願発明においては、上部プーリーのところを円弧状に通過する際のバケットの開口縁外方端の周速が、毎秒1.8m以下であるのに対し、引用発明ではこの点が明らかではない点(相違点<2>)で、相違する。
(4) 各相違点について検討すると、引用発明においては、バケットが、上部プーリーの位置で旋回運動から直線運動に移るときには、減速作用を受けること、バケットが減速作用を受ける際には、バケット内の穀物が、慣性によってバケット内から外方に向けて放出されるような作用を受けること、そして、バケットの減速度が大きい程、慣性によるバケット内の穀物のバケット内からの放出作用が大きく働くこと、さらに、上部プーリーの半径に対する上部プーリーの外周縁からバケットの開口縁外方端までの長さが長い程、他の条件が一定である場合には、バケットの減速度はより大きく、また、上部プーリーのところを円弧状に通過する際のバケットの開口縁外方端の周速が遅い程、他の条件が一定である場合には、バケットの減速度はより小さいものであることは、当業者にとっては、格別の解析を待つまでもなく自明のこととして認識されているところである。
ところで、本願発明においては、前記目的及び効果からみて、バケット内から放出された穀物が衝突するアゴ板、及びバケット内から放出された穀物を受け入れて排出する排出口の大きさやバケットコンベアーに対する相対的な位置関係が重要であるものと認められるが、前記アゴ板や排出口に関する事項については、本願発明の構成に欠くことのできない事項とはされていない。
また、各相違点における数値限定については、本願明細書においては、実験結果に基づくものとされ、同明細書には、僅かに本願発明の1実施例と従来の装置の1例とによる被搬送物の放出試験の結果の比較例が記載されており、さらに平成2年1月25日付け拒絶理由通知に対する同年4月6日付け意見書において、被搬送物の放出実験の結果が8例について示されてはいるものの、前記意見書に示された実験結果を参酌しても、なお、前記各数値限定は、ごく限られた実験データから推測された一応の目安としての数値による限定であり、これをもって直ちに客観的な根拠に基づく数値限定であるとはいい難い。
以上を総合すると、相違点<1>、<2>は、いずれも当業者が設計に際し格別の困難を伴うことなく採択することができた事項にすぎないものといわざるをえない。
(5) したがって、本願発明は、引用発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものであるから、特許法29条2項に基づき特許を受けることができない。
4 審決の取消事由
審決の理由の要点(1)ないし(3)は認めるが、同(4)、(5)は争う。審決は、各相違点の判断を誤り、本願発明の顕著な作用効果を看過し、その進歩性を否定したものであるから、違法であり、取消しを免れない。
本願発明の相違点<1>、<2>に係る構成は、いずれも穀物の性質に由来するものであり、かつ、これらの構成によって顕著な効果が得られるものであるのに、審決は各相違点及び顕著な作用効果の存否に関する判断を誤ったものである。すなわち、本願発明は、従来の遠心分離方式のバケットコンベアーが有した搬送速度に関する問題点の解決を目的としたものである。「植物は各々の種子の実る位置によって、完熟後の地上への落下時に対応した性状を持ち合わせていると考えられるのであ(り)」(本願発明の出願公告公報である甲第2号証の3欄15行ないし18行)、「米、麦、豆類などの穀物では、せいぜい地上1m程度の位置で実るものであるから、その位置から自然落下して地上に到達した時の速度を計算すると、速いものでせいぜい秒速4.4mである。したがって、これ以下の速度で衝突し、衝撃を受けてもそれに耐えられるようになっている。しかし、自然現象以下の作用、例えば、前記の如くバッケトコンベアーにて秒速5m以上という高速で叩き付けられた場合には穀物は到底その衝撃に耐えることはできない。」(前記3欄18行ないし27行)、「しかし、遠心排出方式のバケットコンベアーでは、どうしても放出のために一定以上の遠心力を必要とするため、機構上、これ以下に速度を押さえることはできない。」(前記3欄36行ないし39行)ため、本願発明はなされたものである。そして、バケットの周速を遅くするために、相違点<1>、<2>に係る構成を選択したものである。本願発明においては、慣性によって穀物を確実にバケットから放出するためには、減速度が一定以上でなければならないため、上部プーリ外周縁からバケットの開口縁外方端までの長さを上部プーリの半径の1.2倍以上にすることが必要であり、また、開口縁外方端の周速が毎秒1.8m以下と遅いのでバケットから飛び出す際の穀物の初速が低くなり、穀物を傷めることが少ないという効果を奏するのである。以上のように、従来の遠心分離方式のバケットコンベアーでは、放出に必要な遠心力を得るために、バケットの移動速度を速くしなければならないものと考えられていたことから、被搬送物に許容限度以上の衝撃を与えることとなり、被搬送物である穀物に破砕を生ずるなどの問題点を有したのに対し、本願発明においては、かかる問題点の解決を課題として、慣性分離方式を採用し、バケットの移動速度を遅くし減速度を大きくすることにより、上記の従来技術の有した問題点を解決したものである。したがって、本願発明における慣性分離方式の採用は、従来の遠心分離方式におけるバケットの移動速度を大きくする方向とは逆方向の思考方法であり、かかる思考方法を実現するために、各相違点に関する構成を採択したものであるから、審決が指摘するような慣性に関する物理的原理それ自体が自明であったとしても、各相違点に関する構成を想到することは容易ではない。また、本願発明において、各相違点に関する構成における数値の限定は、被搬送物である穀物の性質を考慮して採択されたものである。すなわち、穀物は秒速5m以上の高速でたたきつけられた場合には、穀物はその衝突の際の衝撃に耐えられず、破砕してしまうという性質を有しているのである。ところが、従来例においては、遠心分離であるため、バケットの周速を速くするため、上記のような問題点を避けることが出来なかったが、本願発明はバケットの周速を遅くする相違点<2>に関する構成を採択したため、このような問題点を解決することが可能となったものである。
第3 請求の原因に対する認否及び反論
1 請求の原因に対する認否
請求の原因1ないし3は認めるが、同4は争う。
2 反論
(1) 相違点<1>について
バケットコンベアーのバケットで上部プーリの上端まで持ち上げられたバケット内の穀物の放出現象は、単純に遠心力のみで放出されるものではなく、また、バッケトの急激な減速のみによって放出されるものでもなく、遠心力と重力との作用を受けてバケットから離れ、離れる瞬間の周速度(初速度)をもってその接線方向に飛び出し、重力の影響を受けて放物線を描きながら落下するものである。したがって、飛出時点の放出角度及び放出速度はその時点におけるバケットの回転角度及びバケットの周速度の大小によって変化するのであって、その放出現象を一概に遠心分離方式、慣性分離方式などと区別して論ずることはできない。そして、バケットが上部プーリに沿って下降する過程でバケットコンベアーのバケットから穀物が放出されるのであり、穀物自重の上部プーリの半径方向成分が徐々に減少して遠心力と等しくなった時点で放出が行われ、放出される時の角度ないしは位置は、バケット内の穀物の重心の回転半径と周速度の選定によって適宜選択し得るものである。
原告は、本願発明における放出作用は、バケットが円運動から直線運動に変化する時のバケットが受ける減速度を利用した慣性分離方式であると主張するが、以下に述べるとおり失当である。すなわち、原告主張の慣性分離が行われるためには、穀物が円運動から直線運動に移る時点までバケット内に止まっていることが前提条件になるはずである。しかしながら、バケットコンベアーにおける穀物放出の物理現象からすると、上記の時点以前に既に穀物の放出が開始されるものであるから、前記の原告主張の慣性分離方式が成立するための前提条件自体が成り立たないのである。また、仮に、原告主張の慣性分離方式なるものが成立し得るとしても、かかる主張は本願発明の要旨外の主張であって、失当である。
以上のように、バケットコンベアーにおける穀物のバケットからの放出角度、放出速度は、バケットコンベアー一般に通ずる放出現象を認識して、穀物の種類、搬送能力等を勘案して、当業者が具体的設計において適宜選択し、決定する事項であるから、本願発明の前記1.2倍以上とする限定に、当業者が容易に想到することができないところの格別の技術的意義があるとすることはできない。なお、前記の1.2倍以上とする限定と穀物がバケットから放出される時の初速度とは何ら関係がない。
(2) 相違点<2>について
原告は、穀物放出時の初速度を毎秒1.8m以下と限定することにより、穀物がアゴ板に衝突する時の衝撃で穀物が傷むことを防止できると主張するが、失当である。すなわち、バケットコンベアーのバケットから放出された穀物がアゴ板に衝突する時の衝撃で傷むか否かは、穀物の種類や乾燥状態、アゴ板に衝突する時の衝撃の大小によって左右されるものであり、その衝撃の大小は、アゴ板に衝突する時の衝突速度、衝突角度等の諸条件によって決まるものである。したがって、衝撃の大小を衝突速度のみによって論ずることはできず、まして、穀物放出時の初速度のみによって衝撃の大小をいうことはできない。そして、他の条件を不変とすれば、初速度が小さいほどアゴ板に対する衝突速度が小さく、衝撃も小さくなることは常識である。したがって、一般論として、バケットコンベアーにおいて、その放出速度が小さいほど上記の衝撃が小さくなり、それだけ衝撃によって穀物に与えられる影響が定性的には小さくなることは自明である。アゴ板に対する穀物の衝突による損傷防止は、穀物の品質を保全する上で重要なことであるから、穀物の損傷を生じないように、バケットからの放出速度をどの程度とするかは、穀物の種類、乾燥状態等の諸条件を勘案して当業者が適宜選択し得る設計的事項であって、上記の初速度を毎秒1.8m以下とすることは、設計的に選択し得る範囲内のことである。しかも、放出速度を抑えて穀物の損傷を防止することは、遠心排出方式、誘導排出方式、完全排出方式等の如何に係わらない共通な問題であって、このことはバケットコンベアーにおいて従来から良く知られたことであり、放出速度をごく低速にすることも従来良く知られたことである。
そして、本願発明が、特に放出速度を毎秒1.8m以下とすることで、本願発明特有の格別な作用を奏し、顕著な効果を生じたものとは認められないから、上記の限定に格別の技術的意義はない。
第4 証拠
証拠関係は書証目録記載のとおりである。
理由
1 請求の原因1ないし3の事実及び審決理由の要点のうち各相違点の判断以外の部分は当事者間に争いがない。
2 本願発明の概要
成立に争いのない甲第2号証(本願発明の出願公告公報、以下「本願明細書」という。)によれば、本願発明の概要は以下のとおりと認められる。
本願発明は、穀物を上方へ搬送するために使用する直立型のバケットコンベアーに関する発明である。従来の直立型のバケットコンベアーは、被搬送物を排出する方式によって、遠心分離方式、誘導排出方式及び完全排出方式に分類されている。このうち、誘導排出方式は前隣のバケットの背面を放出される被搬送物の案内面として誘導排出する方式であるため、バケットの取付位置やその底面形状等が重要であり、また、完全排出方式では、上端部での旋回を180度以上とするため、上部プーリーの外側に別のプーリーを設ける必要がある等の問題点があるところから、一般的には、バケットが上端部で旋回する時の遠心力を利用して被搬送物をバケットから放出する遠心分離方式が最も多く採用されている方式である。この遠心分離方式では、放出に必要な遠心力を得る必要上、バケットの移動速度を速くしなければならないため、一般に、バケット開口縁外方端の周速として毎秒2.2m以上が採用されているところ、これに被搬送物である穀物の落下による加速力が加わると、排出口のアゴ板に衝突する時の速度は毎秒5m以上となる。これに対し、米、麦、豆類等の穀物が落下して地上に衝突する時の速度は速い物でも毎秒44mであるから、前記のような高速で衝突すると、穀物自身の衝撃限界を超える結果、破粒や穀物の内部に変性が生じ、これが食味にも影響を及ぼしていることが判明した。しかしながら、前記のように、遠心分離方式では、穀物を放出するために一定以上の遠心力を必要とすることから、機構上、前記の速度以下に周速を落とすことはできないという問題点を有していた。また、他の排出方式のバケットコンベアーも、搬送効率や製造コストなどの点で解決を有する課題を有していた。そこで、本願発明は、これらの課題の解決を目的としたものであり(2欄1行ないし3欄42行)、バケットの旋回時の周速を遅くしてもバケット内の穀物を確実に排出することが可能であり、かつ、被搬送物に許容限度以上の衝撃を与えないバケットコンベアーを提供するべく、前記本願発明の要旨記載の構成を採択したものである(3欄43行ないし4欄4行)。
3 取消事由について
(1) 相違点<1>の判断について
本願発明が「上部プーリーの外周縁からバケットの開口縁外方端までの長さを、上部プーリーの半径の1.2倍以上」と限定した点の技術的意義について、以下、検討する。
本願明細書には、「本発明のバケットコンベアーでは、ベルトを駆動することにより、バケットが循環移動する。バケットが下端部を旋回移動する時、被搬送物を掬い取り、上端部を旋回移動する時、穀物を放出する。この被搬送物の放出は慣性分離方式で行われる。即ち、バケットが上部プーリーの位置で旋回運動から直線運動に移る時、バケットに急に減速作用が生ずる。そして、この急減速の瞬間にバケット内の穀物が慣性によつてバケットから飛び出す。ただし、慣性によつて穀物を確実にバケットから放出する為には、減速度が一定以上でなければならず、上部プーリー外周縁からバケットの開口縁外方端までの長さを、上部プーリーの半径の1.2倍以上にすることが必要である。」(第4欄16行ないし29行)との記載、また、本願発明の実施例に関して、「そしてバケットの取付ネジ7が円弧部分の最終点、即ちプーリーとの離反点Cに達すると、この位置からは急に直線状の下降運動に移る。ところがこれまで、バケットの開口縁外方端3’や底3”はベルト速度の約2倍の速度で移動していたのに、この位置からは一瞬にベルト1と同速に急減速されることになる。そして、この急減速に伴う慣性の作用でバケット3の中に入っていた被搬送物は図の矢印の方向に放り出されるのである。」(第5欄31行ないし40行)との記載がそれぞれ認められ、これらの記載によれば、前記の「上部プーリーの外周縁からバケットの開口縁外方端までの長さを、上部プーリーの半径の1.2倍以上」と限定した技術的意義は、バケットが上部プーリーの位置で旋回運動から直線運動に移る時にバケットに生ずる減速作用によって慣性力を得、この慣性力を利用することによって、バケット内の穀物を確実に放出することを可能ならしめる点に存するものと考えられる。
してみると、前記の減速作用によって生ずる慣性力を利用して被搬送穀物をバケットから放出するものである以上、被搬送物である穀物をバケットから放出する位置は、当然、減速作用によって慣性力の生ずる位置、すなわち、バケットが円弧運動から直線運動に移動する位置でなければならないはずであって、この位置以外においては、前記減速作用から生ずる慣性力を利用することはできないはずである。
ところで、本願明細書によれば、本願発明の特許請求の範囲の記載は前記の当事者間に争いのない本願発明の要旨と同じと認められ、この記載によれば、被搬送物のバケットからの放出位置を限定する何らの記載もない。このように、本願発明においては、上記放出位置に何らの限定がなされていないことは特許請求の範囲の記載自体から一義的に明らかというべきである。
確かに、本願明細書によれば、その発明の詳細な説明の欄には、「<作用>本発明のバケットコンベアーでは、ベルトを駆動することにより、バケットが循環移動する。バケットが下端部を旋回移動する時、被搬送物を掬い取り、上端部を旋回移動する時、穀物を放出する。この被搬送物の放出は慣性分離方式で行われる。即ち、バケットが上部プーリーの位置で旋回運動から直線運動に移る時、バケットには急減速作用が生ずる。そして、この急減速の瞬間にバケット内の穀物が慣性によってバケットから飛び出す。ただし、慣性によって穀物を確実にバケットから放出する為には、減速度が一定以上でなければならず、上部プーリー外周縁からバケットの開口縁外方端までの長さを、上部プーリーの半径の1.2倍以上にすることが必要である。」(4欄15行ないし29行)との記載及び上記の記載内容に沿う図面が認められ、これらの記載部分を参酌すれば、本願発明における被搬送物の放出位置は、バケットが上部プーリーの位置で旋回運動から直線運動に移る時と限定されているかのようにみえなくもないが、前記のように、本願発明の特許請求の範囲の記載において、何ら放出位置を限定していないことが明白である以上、発明の詳細な説明の欄におけるかかる記載の存在をもって被搬送物の放出位置が限定されているものとまで解釈することは相当ではないというべきである。
もっとも、成立に争いのない甲第10号証(原告代表者作成の技術説明書)には、直立バケットコンベアの排出方式には従来から知られている遠心排出方式、誘導排出方式及び完全排出方式の他に第4の排出方式である慣性分離方式があること(1頁1行ないし16行)、本願発明の採択した「慣性排出方式を(「の」の誤記と認められる。)特徴を要約すると 1.遠心力Fが小さい(短い)。2.回転の遅れの角度αが大きい。の2点である。」(9頁20行ないし23行)、「遠心排出方式と異なり、慣性分離方式ではバケットがプーリを回転している間には穀物を排出しない。」(11頁4行ないし6行)、「慣性排出方式の場合、・・・バケットがプーリの周りを回転している間は穀物を排出しないで、回転が終わった瞬間(V位置)にバケット内の穀物を全てまとめて排出口に向けて排出する。」(前同頁23行ないし26行)等の記載が認められ、これらの記載によれば、慣性排出方式は上記の2点の特徴によって他の排出方式との区別が可能であるとしているものと解される。そして、前掲甲第10号証によれば、前記の「回転の遅れの角度α」とは、バケットの取り付けネジとバケット内にある穀物の重心との間の角度を意味するものであるところ(2頁1行ないし3行)、そこで、これを本願明細書に即してみると、本願明細書の特許請求の範囲の記載はもとより他の記載を精査しても、この「回転の遅れの角度α」に言及した記載は見当たらないし、前記の「回転の遅れの角度α」の意義からすると、「回転の遅れの角度α」はバケットの大きさ、形状及び取付の態様等の影響を受けることは明らかであるから、前記の「上部プーリーの外周縁からバケットの開口縁外方端までの長さを、上部プーリーの半径の1.2倍以上」と限定したことが、前記の慣性分離方式の特徴2に関連するとしても、上記の限定をもって、「回転の遅れの角度α」を限定したとすることができないことは明らかというべきである。また、慣性分離方式の前記の特徴1に関連し、本願発明において、「バケットの開口縁外方縁の周速を毎秒1.8m以下」と限定した点の技術的意義が問題となるところ、前掲甲第10号証には、遠心排出方式のバケットの一般的な設計においては、バケット開口縁外方端の周速について「最低でも1.8m/sとなる。」との記載(7頁9行ないし12行)が認められることからすると、本願発明の上記限定は、本願発明の排出方式において、遠心排出方式を排除した点に意義を有するものと認めることができる。しかしながら、前記の限定においては「バケットの開口縁外方縁の周速」の下限が何ら限定されていないことは明らかであるところ、前掲甲第10号証には「誘導排出方式では、慣性排出方式よりもさらにコンベア速度を遅くし遠心力を小さくして、穀物が背面板を滑り落ちるようにする。」(11頁15行ないし17行)との記載が認められ、この記載からも明らかなように、「バケットの開口縁外方端の周速」の下限が限定されていない前記限定では、誘導排出方式を包含するものといわざるを得ないというべきであって、この場合に、被搬送物が円弧運動から直線運動に移行する以前に放出を開始することは明らかである。
そうすると、既に述べたように、バケットが円弧運動から直線運動に移行する時の減速によって生ずる慣性力を利用して被搬送物を放出するというためには、少なくとも、この移行位置において、被搬送物の相当部分がバケット内に止まっていることを必須の前提とするものであるところ、前記説示のように、本願発明においては、被搬送物の放出位置をバケットが円弧運動から直線運動に移る位置に限定するものと解することができない以上、バケットが円弧運動から直線運動に移る位置における減速によって生ずる慣性力を利用すべく、上部プーリー外周縁からバケットの開口縁外方端までの長さを、上部プーリーの半径の1.2倍以上と限定してみてもその技術的意義は乏しいといわざるをえないのである。のみならず、本願発明は、本願明細書においては慣性分離方式なる名称を使用しているが、前記認定の事実に照らすと、従来の誘導排出方式を包含することは明らかであって、その意味で従来の誘導排出方式の改良を目指した発明と解するのが相当であるところ、そうだとすれば、前記の1.2倍とする限定の技術的意義は、従来の誘導排出方式との比較において論じられるべきものであるが、かかる観点において前記限定の技術的意義を論じた証拠はなく、いずれにしても、前記数値限定の技術的意義を認めることは困難といわざるを得ない。
したがって、前記の1.2倍以上とした限定に格別の技術的な意義が認め難い以上、その限定は適宜実験的に得られた資料に基づくものと解するほかはないから、その限定に格別の困難があるとすることはできず、この意味において審決の相違点<1>の判断に誤りがあるとすることはできない。
(2) 相違点<2>の判断について
本願発明が「上部プーリーのところを円弧状に通過する際の、バケットの開口縁外方端の周速は毎秒1.8m以下」と限定している点の技術的意義について、以下、検討する。
本願明細書には、上記の限定の意義に関して、「バケットの開口縁外方端の周速も毎秒1.8m以下と遅いので、バケットから飛び出す際の穀物の初速度が低くなり、穀物を傷めることが少ない。」(4欄29行ないし32行)、「バケットからの放出時の初速度が低く、且つ、アゴ板までの距離が短いので、被搬送物がアゴ板に衝突する時の速度が低く、衝突時の衝突を穀物の耐衝撃限界内に止めることができ、穀物に傷みを与えることなく搬送可能である。更に、この結果、搬送に伴う、砕穀や食味の低下を防止でき、且つ、アゴ板での衝撃音を減少させることができる。」(9欄5行ないし10欄1行)との各記載が認められ、これらの記載によれば、前記のバケットの開口縁外方端における周速を毎秒1.8m以下と限定したことの技術的意義は、放出された被搬送物である穀物がアゴ板と衝突する際の衝撃を和らげ、穀物に傷みを与えることを防止する点にあることは明らかである。
ところで、バケットから放出された穀物がアゴ板に衝突する際の衝撃で傷むか否かは、穀物の種類や乾燥状態、アゴ板に衝突する時の衝突速度や衝突角度等の諸要因によって左右されるものであることは経験則上明らかであり、この点を指摘する被告の主張は正当であるが、バケットからの穀物の放出速度は、アゴ板への衝突速度を決定する前記の諸要因の中でも最も重要な要因であることも経験則上明らかであるから、以下、かかる観点から原告主張の穀物の放出速度について検討することとする。成立に争いのない乙第1号証(昭和36年1月15日産業図書株式会社発行本田早苗、荒井実著「荷役機械の設計」(増補版)」には「バケットエレベータ(Bucket elevater)」には、その排出口の形式によって、遠心排出式、誘導排出式及び完全排出式があるとされ、「遠心排出直立形」の項には「バケットが下端をまわるとき材料をすくい頭部車を廻るとき遠心力で排出する形式である。これは排出を確実にするために一定の速度を必要とし、各形式のうち最も早い。したがって破砕により品度の落ちるもの、もろく硬いもの(塊炭、コークスなど)は運搬に適しない。」との記載が認められる。この記載によれば、被搬送物がバケットコンベアーから放出される際に受ける衝撃の被搬送物の品質に与える影響、すなわち、放出された被搬送物が受ける衝撃、ひるがえっては、衝撃の有力な要因であるところの被搬送物の放出速度によって、被搬送物の品質を低下させてはならない旨の認識が、具体的に例示された被搬送物こそ本願発明の場合とは異なるが、示されていると解することができるところ、かかる問題は被搬送物の品質保護という物品搬送の最も基本的な前提をなす事項に係るものであること、並びに、前記図書の性格及びその発行時期に照らすと、本願出願前において、本願発明に係るバケットコンベアーを含む荷役機械一般に共通した最も基本的な設計上の留意事項として、当業者の間に定着していたものと認めるのが相当である。そして、前掲乙第1号証に例示された各種の排出形式によるバケットエレベータの運搬速度をみると、遠心排出直立形では65~95m/mn(429頁表7.47)、誘導排出直立形では20~60m/mn(430頁表7.48)、完全排出形では35m/mnのものがそれぞれ例示されていることが認められるところ、これらの各速度は上部プーリの外周縁における速度(V’)に一致するものと考えられる。ところで、上部プーリのところを円弧状に通過する際のバケットの開口縁外方端の周速(V”)は、次式で求められることは速度と距離と時間の関係から明らかである。
V”={1+(A”/A’)}V’
そこで、例えば、運搬速度として、前記の35m/mnをとり、上部プーリの外周縁からバケットの開口縁外方端までの距離(A”)を本願明細書が従来機で一般に採用されているとする(本願明細書5欄13、14行参照)上部プーリの半径(A’)の0.8倍として、上記式で放出速度を試算してみると、1.05m/sとなり、また、仮に本願発明の1.2倍を採用して試算してみると、約1.28m/sとなることは明らかである。
そうすると、既に、前掲乙第1号証において、本願発明よりも低速の放出速度を有するバケットコンベアーが示されているのみならず、放出速度は、前記の式自体からも明らかなように、上部プーリの外周縁における速度(V’)、上部プーリの半径(A’)及び上部プーリの外周縁からバケットの開口縁外方端までの距離(A”)の各要素の相互関係によって決定されるものであることは明らかであるから、前記の放出時における被搬送物に与える衝撃の程度を考慮しながら、前記の各数値を適宜調整することは、当業者の容易になし得るところというべきである。
現に、本願明細書によってこの点をみると、「秒速を1.8m以下と特定した根拠は本発明者の実験結果であ(る)」(6欄17、18行、なお、成立に争いのない甲第7号証〔原告の平成2年4月6日付け意見書2頁〕も「数値限定の根拠は本発明者が行った実験結果であ(る)」としている。)とした上で、「この円弧運動時の周速の最適値はプーリー1の径や、バケットの開口縁外方端3’の旋回半径Aの長さ、及びバケットの形状等、色々な条件によってことなるので実施に当たっては、毎秒1.8m以下の範囲内で最適のところを実動の上で決定するのがよい。」(6欄26行ないし31行)としていることが認められるから、本願発明においても、前記のような既に当業者間に知られたところの各種の要素を考慮して、実験的に決定されたものであることは明らかなところであり、これをもって当業者が容易に想到できないものとまでいうことは困難といわざるを得ない。
(3) 以上の次第であるから、本願発明における数値限定は当業者が容易になし得るところというべきであるから、その効果も当業者において予測できる範囲内にあるものといわざるを得ない。
したがって、取消事由はいずれも理由がなく、審決に原告主張の違法はないというべきである。
4 よって、本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 濵崎浩一 裁判官 田中信義)
別紙図面1
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別紙図面2
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